ピアノを弾くのに、絶対音感は必要か

こんにちは。葛飾区ゆめピアノ教室のいしごうおかです。

音楽的才能について論じるときに必ずと言ってよいほど引き合いに出されるのが、「絶対音感」ではないかと思います。

絶対音感の定義は、広辞苑によると、「楽音の高さを他のものとの比較によらずに識別する能力」となっています。反義語は、「相対音感」と言われます。

「絶対音感」という言葉を初めて聞く人は少ないと思いますが、 念のため、もう少し分かりやすく補足説明しておきます。

まず、ピアノに背を向けた状態でもう1人の人に適当な音を叩いてもらったときに、 それが何の音なのかが分かれば、絶対音感がある、ということになります。 「ド」が鳴ったときに「ド」であることが分かれば、絶対音感があるわけです。

 

音楽の経験のない人にとっては、 これがすごく不思議な能力なのだそうです。

一口に「絶対音感を持つ」と言っても、そのレベルには個人差が存在します。
絶対音感のレベルを次のように段階分けしてみると分かりやすいと思います。

0. どのような音も全く識別できない
1. 440Hz(付近)のA音だけなら識別できる(管弦楽の楽団員を想定)
2. 白鍵の音だけなら識別できる(ピアノ学習者を想定)
3. 基本的に黒鍵も含めて12音の聴き分けができるが、単音の楽音に限られる
4. 曲の中の旋律部だけなら聴き取れる
5.3音程度の協和音なら全て聴き取れる
6.曲の中の基本的な和声構造(コード等)も含めて聴き取れる
7. 和声的に関連性のない音(不協和音の構成音など)も含めて全ての音が聴き取れる

また上の例では、調性は無視していますが、多くのピアノ学習者は、まず白鍵のみのハ長調から慣れ親しんだ という経緯から、黒鍵の音に対して多少反応時間がかかることが多く、黒鍵の多い調性ほど聴き取りにくい、という 現象も生じます
中にはハ長調とその近親調(ト長調、ヘ長調など)に限定して聴き取り可能、という人もいるようです。

以上の説明や辞書的定義では、絶対音感の言及範囲を「楽音」に限定していますが、実は、絶対音感の 働く範囲は楽音に限定されず、生活音その他、身の回りの全ての音にまで及びます。

車のエンジン音、電車のモーター音、動物の鳴き声、人のしゃべり声、物と物がぶつかる音、その他、身の回りに 存在する全ての音が、絶対音(いわゆる「ドレミ」)で聴こえる人もいます。
この「聴こえる」にも さらに段階があり、意識しなくても全ての音が絶対音として「ドレミ」で聴こえる、という人もいれば、 よほど注意して聴かないと聴き取れない(聴き取れない音もある)という人まで、様々です。

全ての音が絶対音で聴こえる人の場合、それに取り付かれてしまって、 他のことに集中できず、神経症に陥る場合もあるという話なので、メリットばかりではないようです。

 

 

このような絶対音感を持つことは音楽をする上で非常に有利なのは異論の余地はないと思います。
従って、音楽を楽しむ人で絶対音感のない人は、「絶対音感を身に付けたい」と強く望むのは人情というもので、 その需要に応えるべく、絶対音感を身につけるための教材もいろいろ市販されているようです。

絶対音感の獲得年齢には上限があり、その上限は一般に6歳とされています。 逆に言うと、それ以降に音楽の勉強を始めた人は身に付かない、ということになりますが、 個人差はあります。

はた

ちなみに、私の次男は絶対音感があります。
でも、練習を始めたのは7歳からで、それほど苦労しませんでした。

その時点で、ほぼ絶対音感がある状態から始めたのかもしれません。

 

 

絶対音感とは、究極的には「ラ」の音を「ラ」と聴こえる能力のことです。
これは、音高の記憶保持能力に深い関わりがあるのは、明らかですよね。

この記憶保持能力は、年齢が小さいほど高いのは脳化学的にも証明されているようですが、 獲得年齢の上限は、平均6歳とは言っても、個人差が大きく、生まれつきこの能力が高い人は、 この上限を過ぎても、絶対音感を獲得できる素地は十分あると思います。

その判断の基準として、皆さんにおすすめしたいのは、調性毎の色彩感や雰囲気の違いを感じ取れるかどうか、です。
同じ曲を調性を変えて聴いてみたときに、違った感じ(=雰囲気、色彩感)で聴こえるようなら、 十分素地はあると言えます

歌謡曲その他、カラオケなどでは声域に合わせてキー(調性)を変えられますが、原キー(本来の調性) でないと気持ち悪くて歌えない人は、紛れもない絶対音感保持者と言えます。

カラオケ

逆に、どの調性でも同じように聴こえて、移調してもあまり違いが分からない、どのキーでも違和感なく歌える、 ということでしたら、残念ながら、絶対音感の素地はなく、相対音感のみを持っているという結果を受け入れるしかなさそうです。
但しその場合、絶対音感が全てではなく、音楽の才能の1要素に過ぎない、という事実を考えて、 音楽に対して前向きに取り組んでいってほしいと思います。

 

 

音楽をする上で、絶対音感を持つことがいかに有利であるかを感じますが、 それだからこそ、今、音楽の早期英才教育の場では、絶対音感教育が重視されているのでしょうね。

絶対音感教育を専門に行っている有名な音楽教室もありますし、「我が子には絶対音感を身に付けさせたい」 と躍起になる保護者も多いようです。

絶対音感獲得の年齢上限を考えると、躍起になって焦る気持ちもよく分かりますが、 何度も繰り返すように、絶対音感は音楽の才能の一要素に過ぎない、と考えて気楽に構える心の余裕も必要ではないか、 と思います。
何だか他人事のような言い方になって申し訳ないですが、専門家にさせるのでなければ、 押し付け教育で音楽を嫌いにさせてしまっては、逆効果ではないか、と思います。

それに、専門家でさえ、例えばプロオーケストラの団員でも、絶対音感の保持者は半分以下です

 

 

絶対音感はピアノを弾く上で必要かどうか

どの程度の絶対音感を、ここでの「絶対音感」と定義するかによって結論は変わってきますが、 ここでは、レベル5以上に設定するとします。
この場合、 結論から先に言えば、「絶対音感はあったほうが断然有利だが、決め手にはならない」 というのが僕の持論です。「プロのピアニストを目指すのなら、絶対音感は必要条件ではあるが十分条件ではない」 と言い換えても意味は同じです。

但し、これは、あくまでも「プロを目指すのなら」という条件付きなので、 趣味で楽しむには、このことは全く気にする必要はないと思います。

「絶対音感」という音の識別(ラベリング)能力それ自体よりも、むしろ、 絶対音感の素地が、音を感じる感受性と深い関わりを持っていると考えられるからです。

絶対音を識別できる能力の前提となっているものは、特定の音を、その音自身の持つ固有の音色として認識できる、 という、音に対する「敏感さ」だと考えられます。
こうしてみると、絶対音感の訓練を、色のついた旗でしていく意味もなんとなく分かりますね。

この敏感さがあるからこそ、調性毎の色彩感、雰囲気の 微妙な違いを感じ取れるわけですし、同じ音から得られる情報量も、絶対音感(の素地)がない場合に比べて 桁違いに多くなるに違いないからです。

そして、それを表現する場合には、そのバリエーションは その分だけ豊富になるとも考えられます
音楽などの芸術の場合、「わずかの違いが大違い」 となることも多く、決め手になることも多いことを考えると、 絶対音感の有無は、芸術家にとって、非常に大きな違いになると僕は考えています。

そのため、プロの芸術家は、絶対音感の有無を公言している人が少ないのでしょうし、 ある音楽家に絶対音感がないらしい、という噂が立つと、瞬く間にその噂が広がるのでしょうね。

作曲家で言えば、シューマンやチャイコフスキーが絶対音感を持っていなかった、と聞くと 衝撃を受けるのでしょう。
こういう事実はにわかには信じがたいものがありますよね。

このように書くと、「それなら、あなたは、ある特定の演奏家の演奏を聴いただけで、その人に絶対音感があるかどうかが 分かるのか」ときかれそうですが、正直に言うと、分かりません。
ただ、「プロのピアニストとしてやっている以上、 おそらく絶対音感保持者なのだろう」と推測するだけです。

絶対音感訓練をレッスンで行っていますが、絶対音感はピアノを弾くうえで、絶対ではありません。
あったほうがいいことは言うまでもありません。